『「健康格差社会」を生き抜く』近藤克典
社会疫学の本2冊目。
著者の近藤克典氏といえばAGES・JAGES研究で有名ですね。
内容としては、イチローカワチ氏の「命の格差は止められるか」とかぶるものもありますが、前述のAGES・JAGES含めより日本の現状や課題にフォーカスされています。
いまいち上手くいっていない健康日本21や介護予防事業等に対して、今後はポピュレーションアプローチが重要になるとの指摘は納得。
これまでは生活習慣を改善するために保健指導や健康教育で知識を与えることが中心でしたが、これからは「どうしてその生活習慣なのか?」という心理社会的な面に注目し、よりよい生活習慣をとれるような社会環境にアプローチするという考え方ですね。
ヘルスプロモーション的な考えで真新しいものではないですが、保健指導・健康教育なんかは一応看護の専門領域でしょうから意識しておかないと。
「保健指導の効果」をテーマに卒論を書こうとして文献をレビューしたときに、「あれ、大したエビデンスがない…しかもコスパ悪っ!」とがっかりしたのはいい思い出です(笑)
今後の健康づくりの中心に看護職は居続けられるでしょうか。がんばらないと。
「おとなの教養―私たちはどこから来て、どこへ行くのか?―」池上彰
おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか? (NHK出版新書)
- 作者: 池上彰
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2014/04/09
- メディア: 新書
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最近、自分の教養のなさを身に染みて感じることが増えてきて、(今更ながら)焦ってしまいます。
とりあえず新聞を読んでみたり、21時のNHKニュースを見てみたり……
本を読もう!と思い立ったのきっかけの一つでもあります。
そんな中、部屋の整理をしていたら、何年か前に買ったこの本がピカピカの未読状態で出てきたのでページを開けてみることにしました。池上彰さんだしね(?)
そもそも教養とはなにか?
この本の表紙の池上彰さんは『教養とは「自分を知ること」です。』と言っています。
副題も「私たちはどこから来て、どこへ行くのか?」なので、自分の起源から未来まで学ぶ・理解すること、なのだろうと思います。
この本は、リベラルアーツ(ヨーロッパで学問の基礎とみなされていた分野)をベースに、池上彰氏独自に設定した7項目について書かれています。
①宗教
②宇宙
③人類の旅路
④人間と病気
⑤経済学
⑥歴史
⑦日本と日本人
パっと見は脈絡ない項目立てに見えましたが、読んでみると「自分を知る」という一貫したテーマに沿って書かれていることがわかります。
また、かなり噛み砕かれた内容で、特に前知識なく読めるのも嬉しいです。詳しく知りたかったら、分野別の本を読めばいいですもんね。
これを読んだだけで教養人!というわけではないでしょうが、教養を学ぶ上での入り口の一冊としてよかったと思います。
私自身、つい本を選ぶときに「看護」とか「ケア」とか「医療」とか…を選んでしまいがちですが、今度本屋さんにいったときはつい他の分野のコーナーに行ってみたくなる、そんな本でした。
『命の格差は止められるか―ハーバード大日本教授の、世界が注目する授業―』イチロー・カワチ
命の格差は止められるか: ハーバード日本人教授の、世界が注目する授業 (小学館101新書)
- 作者: イチローカワチ
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2013/07/31
- メディア: 新書
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この本の著者は「社会疫学」の専門家。
社会疫学とは、「What is the problem upstream?(上流でどんな問題が起こっているか?」、つまり健康の上流=人々の置かれた社会・環境の影響を考える学問です。
私自身とても興味がある領域で、将来的にはこのあたりを専門にしたいなあとぼんやり思っています。
日本はなぜ世界の中でも長寿国なのか?日本の中でもなぜ都道府県・地域によって寿命が異なるのか?
ちょっと考えてみたらとても不思議ですよね。
この本はこれまでの社会疫学の研究成果(教育・経済状況と健康が関連していることは有名ですね)を紹介するだけでなく、健康的な社会を築いていくうえでのヒントもたくさん含まれていました。
特に印象的だったのは「第6章 果たして、人の行動は変わるのか」
人間が行動を選択する際は理性(健康的かどうか)よりも感情(魅力的かどうか)が優先されやすいことを指摘しています。その上で、これからの健康的な行動変容を促す取り組みには、感情に訴えることが得意な民間企業のマーケティングや広報活動に学ぶものがあるかもしれないと書かれていました。
このあたり、めちゃくちゃ思い当たることがあって、行動のメリット・デメリットを説明して理性に働きかけるって手法じゃあんまり効果見られないっていうのはもうみんなわかってることですよねきっと。そして、糖尿病は帰宅後コントロール不良になるし、脳血管疾患の再発も起こるわけです……
今後はNCDの予防とコントロールの時代でしょうから、行動変容とその維持をサポートする新しいアプローチが開発されていくんでしょうね。もちろんハイリスクだけでなく、社会全体を対象にしたポピュレーション・アプローチも、ですが。
『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え―』岸見一郎・古賀史健
本を読み始めたことを公言すると、周りの人がいろいろおすすめを教えてくれるようになりました。
今日紹介するのは、上司が「ま、とりあえず有名どころは読んどいたら」と貸してくれた本です。
実は「自己啓発本」というジャンルを読んだのは初めてでした。
お金を稼ぎたい人が読む本、胡散臭い内容が書いてある…といった勝手なイメージで少し敬遠していた部分もあります。
でも読んでみると、ちょっとだけ気持ちが軽くなった気がして、「自己啓発」へのイメージも大きく変わりました。
文章も、悩みを抱えた青年とアドラー心理学に精通した哲学者との対話、というスタイルで書かれており、とても読みやすかったです。
読んでいて特に頭に残ったことを以下に書いておきます。
すべての悩みは「対人関係の悩み」である
これがアドラー心理学の中心的なテーマのようです。
最初に読んだときは「ん?そんなことあるか?」と思いましたが、自分自身の悩みも確かに対人関係の悩みに集約できました。
文中で哲学者は青年に対し、対人関係の悩みは「承認欲求」から生まれることを指摘した上で、他人によく思われようと生きるのではなく、自分の課題を解決するために生きるべきであると諭します。
私自身、とても人の目を気にする性格であることを自覚しているので「自分が解決すべきことはなにか?」を常に意識する必要性を感じました。せっかくの人生だし、やっぱり自分がやるべきことをやりたいですよね。
「勇気づけ」というアプローチ
この本で特に素敵だなあと思ったのは、「介入」と「援助」の違いについてアドラー心理学の立場から述べた箇所です。
アドラー心理学では、他人の課題に土足で踏み込む行為を「介入」と呼び、縦の関係(身分や階級などの上下関係)から生まれるものとしています。「ほめる」・「叱る」といった行為も「介入」にあたり、「介入」は相手を操作しようとする(自分以外の課題に立ち入ろうとする)行為であると否定されています。
一方、「援助」は対等の立場からなる横の関係に基づくアプローチで、相手が自信を取り戻し、自分で課題に取り組めるようにすることとしています。アドラー心理学ではこのような援助を、「勇気づけ」と呼ぶようです。
人が課題を前に踏みとどまっているのは、その人に能力がないからではない。能力の有無ではなく、純粋に「課題に立ち向かう“勇気”がくじかれていること」が問題なのだ、と考えるのがアドラー心理学です。
まさに「勇気づけ」=エンパワメントですね!
思わず音読してしまいました。大学の時のある授業で、「看護師は行動変容の専門家だ」と言っていた先生がいたことを思い出しました。
行動・結果のよしあしを評価する(ほめる・しかる)のではなく、健康的な行動につながるよう励ましてともに歩む(勇気づける)……日々の業務の中でこれができているだろうかと改めて振り返るいい機会になりました。
他者貢献
この本の最後には、アドラー心理学には自由な人生を送るための指針となる「導きの星」として、「他者貢献」の重要性が説かれています。
哲人:あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければmまようことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きて構わない
看護を生業にしている以上、常に他者貢献できている(と思いたい)んだからこんなに素敵な仕事はないですね!
さあ、今日も一生懸命に他者貢献してこようと思います。
『博士の愛した数式』小川洋子
中学生か高校生の頃に読んだことがありました。ちょうど映画化なんかもされていましたよね。
この本が、『看護のアジェンダ』の必読文献の一つに「ケアの本質を文学的に味わえる」本として紹介されていたので、さっそく買ってきて読み直すことにしました。
本の表紙に書いてあるあらすじは以下の通り。
【ぼくの記憶は80分しかもたない】 博士の背広の袖には、そう書かれた古びたメモが留められていた―記憶力を失った博士にとって、私は常に“新しい“家政婦。博士は“初対面” の私に、靴のサイズや誕生日を訪ねた。数字が博士の言葉だった。やがて私の10歳の息子が加わり、ぎこちない日々は驚きと歓びに満ちたものに変わった。あまりに悲しく温かい、奇跡の愛の物語。
博士の穏やかな生活のために、家政婦である私と息子が思いを巡らせ心を配る様子。博士が息子へ無条件に愛情や関心を注ぐ姿。そして、お互いの関わりを通したコミュニケーション。
前に読んだときには気づきませんでしたが、どの場面にも思いやりと愛に溢れた人と人との関わりが描かれていて、「ケアすること」の本質を物語を通して味わうことができる本だとわかりました。
看護師に限らず、「優しい気持ちで人と関われているかな?」と思ったときにぜひ読んでほしい優しくて少し悲しい物語でした。
『看護のアジェンダ』井出敏子
なんとなく気になって随分前に買ってから、気が向いたときに少しずつ読んできた本です。
「週刊医学新聞」での連載を書籍化したもので、一つの話題が2~3ページにまとまっていて寝る前のちょっとした時間に読むのがお気に入りでした。
タイトルの<アジェンダ>とは、検討課題の意ですね。
この本の序文には、連載の主旨は「看護・医療界の”いま”を見つめ直し、読み解き、未来に向けたアジェンダを掲示」すること、と書かれています。
その主旨の通り、看護や医療に関するホットな133のアジェンダについて、筆者の思いや考えも交えて書かれています。
特に印象的だったのは、「看護」の語り方 という看護職以外に看護を伝える重要性や方法について書かれている項目でした。
その中で、看護の「可視化」の重要性について、以下のように書いてあります。
看護界から対外的にメッセージを伝えようとする際には看護の本丸を省略しないで言及することが必要なのだ 。
しかし、われわれ看護職は、看護の本丸はからだで知っているがゆえに、その部分を省略する傾向があることを自戒を込めて実感した。
看護の本丸。 わかっているようで端的に言葉にできないなあと。
ぼくの場合だと、看護の本丸について「省略」しているわけじゃなくて「可視化」できずにいるだけなんじゃないかとドキっとしました。
でもそれじゃいけないんだよなあ。看護とは何か、看護師なのに表現できないのは致命的だと我ながら思います。
あとは、「必読文献」という項目で、井出俊子さんが大学院生に勧めているという本の紹介もされていました。
随分前にそこからいくつか本を買ったままにしてあるので、この機会に開いてみようと思います。